降誕祭(ヨハネ1:1-14)
「神の独り子」
小児科医の細谷亮太氏は、聖路加国際病院で長年、小児がんの子どもたちの診療に当たってきました。細谷氏は、『今、伝えたい「いのちの言葉」』(佼成出版社)の中で、小学2年生で亡くなった、チーちゃんという女の子のことを紹介しています(以下の記述は、同書16-19頁に負っている)。
チーちゃんは、治りにくい種類の白血病で、骨髄移植を受けなければならない状態でした。チーちゃんの両親には、なかなか子どもができず、待ち望んでようやく生まれた子どもでした。チーちゃんは、みんなから「頭がいい」と言われる、自慢の子だったのです。
骨髄移植は、頭を含めて全身に放射線の照射をしなければならない、きつい治療です。だから、移植のあと少し勉強ができなくなったりするかもしれない、と心配した両親は、別の治療を希望しました。そこで細谷氏は、抗がん剤を用いて治療することにしました。うまく治ったように見えたのですが、途中で再発してしまい、結局は、お父さんから骨髄を移植することになりました。しかし残念ながら、数ヶ月でまた再発してしまったのです。
再発したチーちゃんが入院する時、お母さんはチーちゃんに、こう言いました。「ごめんね。最初から骨髄移植を選べばよかったのに、お父さんとお母さんが選んだ方法があまりよくなかったみたいで、また病院に入院しなければならなくなって......」。すると、チーちゃんはお母さんに、こう言って慰めたそうです。「自分をいちばん大事だと思っているお父さんとお母さんが選んでくれた方法だからだいじょうぶ。方法が間違っていたんじゃないよ。病気そのものが悪かったんだと思うよ。しょうがないよ」。
そして細谷氏は、次のように述べています。「人間として授かったいのちは、亡くなるまで大切に扱わなければなりません。......幼い子どもたちが、病気と闘いながら感謝の気持ちや思いやりの心を周りの人たちにささげて天国に旅立つ姿を見ていると、特にそう思います。......子どもが重い病気で入院すれば、ご両親はとても心配し、深い愛情を注いで看病してくれます。看護師さんも医者も、一生懸命その子の治療にあたります。そういう状況下では、子どもたちは自分をサポートしてくれる人たちが世の中にはこんなにたくさんいるんだということを強く実感します。そして、サポーターや家族に対する感謝の気持ちを素直に持てるのです」(同書26-27頁)。
さてヨハネ1:1には、次のように記されています。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」。この「言」は、神の独り子である、イエス・キリストを指しています(以下の記述は、関田寛雄著『目はかすまず気力は失せず』新教出版社248-253頁に負っている)。
旧約聖書によれば、神は、「言」において一切を創造されました。「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった」(創世記1:3)。つまり、神の「言」は神の意志の表現であり、すべての被造物の根底には、神の恵みの意志があるのです。
そして神は、神の「言」の聞き手として、人間を創造されました。神は、「言」であるイエス・キリストを通して、人間に呼びかけ、人間が神の呼びかけに応えて生きることを、私たちに求めておられるのです。
また、ヨハネ1:4-5,9には、次のように記されています。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった〔光に勝たなかった〕。......その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」。
「輝いている」が現在形であること、同時に、闇は光に「勝たなかった」と言われており、「敗北した」とは言われていないことに、注意しましょう。闇が「敗北してしまった」とは言い切れない現実があるので、人間を照らす命の光は、今なお「輝いている」のです。
例えば、細谷亮太氏は、自分に勇気を与えてくれた、Hくんのことを紹介しています(細谷亮太、前掲書33-34頁参照)。Hくんは、大人になったらトランペッターになる、と心に決めていました。ところが、中学2年生の時、右手首のすぐ上に、骨肉腫ができたのです。放っておけば命にかかわるので、右手が切断されました。
右手がなくなったら、トランペットは吹けません。それでも、Hくんの夢は消えませんでした。Hくんはトランペットを止め、ホルンに転向したのです。ホルンは、右手をラッパの中に入れて楽器を支え、左手でバルブを操作して演奏します。これなら、義手のHくんにも演奏できたのです。
また細谷氏は、アフリカで医療活動をしている後輩の医者から、次のような話を聞いたそうです。「貧困と悲惨にさいなまれ、食べ物や薬がないところでも、子どもたちは『明日はおいしいものが食べられるかもしれない』とか、『明日はお天気がよくて空が青いかもしれない』と、希望につなげていける」(同書34頁)。
そして細谷氏は、次のように述べています。「まったく希望がなくなるということは、人間にはほとんどあり得ないのかもしれません。もちろん、ものすごく悲惨な状況の中で落ち込むことはあるでしょう。でも、人間は『明日はいい天気かもしれない』というようなことが希望になりうる、そんな生き物ではないかと私は信じています」(同書34-35頁)。
残念ながら今、世界の行きづまりに、私たちは直面しています。憎しみは憎しみを増し、暴力は暴力を増しています。しかし、まことの光であるイエス・キリストは、暗闇の中で輝いています。今の世界をおおう暗闇の中に、イエス・キリストのまことの光が、少しでも広く行き渡るように、そして私たち一人ひとりが、希望をもって生きて行けるように、祈りましょう。