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日本福音ルーテル京都教会 

今月の説教

聖霊降臨後第12主日(マタイ141321)

「五つのパン」

沼崎 勇牧師

 小説家の原民喜は、1945年2月、それまで住んでいた千葉から、広島に帰り、家業を手伝うことになりました。そして8月6日8時15分、爆心地から1.2キロメートルにある生家において、原は被爆したのです。

 隣の家から赤い炎が見えたので、原は、布製のカバンを肩にかけて、家を出ました。カバンの中身は、包帯、脱脂綿、メンソレータム、缶入りオートミール、万年筆、鉛筆、手帳等でした。原は、被爆翌日の7日から、カバンに入れておいた手帳に、メモを書き始めました。メモは、原爆が落とされた瞬間のことから、書き起こされています。そして、このメモに基づいて、原は、小説「夏の花」を書いたのです。

 避難した原は、京橋川に出ました。そこで原は、二人の兄や妹たちと会うことができました。その川岸で、一同は、夜を明かしました。朝、上の兄と妹は、生家の焼け跡の方へ廻り、下の兄と原たちは、東照宮の避難所へ行きました。東照宮には、施療所が設けられ、おびただしい数の重傷者が、道路の上に伏しています。

 両手と足を負傷し、ズボンが半分身体にくっついた姿の男。水を求めてうめく、女子生徒。顔を黒焦げにして、伏せている女性。満身血まみれの男。

 原たちは、東照宮の境内で野宿することになりました。みんな精根尽きて、へとへとです。原は、カバンに入れていたオートミールの缶を開けて、一杯ずつ配りました。すると下の兄は、こう言ったそうです。「ああ、こんなおいしいものが世の中にあるのか」と。

 カバンに入れておいた包帯やメンソレータムも、知り合いの怪我の手当てに、役立ちました。

 翌朝、原は、広島駅の方へ、様子を見に行きました。広島の街は、見渡す限り、灰色がかった白色で、ビルがわずかに残っているだけでした。原が東照宮に戻ると、昨夜の、顔が黒焦げになった女性も、水を求めてうめいていた女子生徒も、亡くなっていました。

 その後、原は、一人で休んでいたとき、一つの思いに捉えられ、メモにこう記しています。「我ハ奇蹟的ニ無傷ナリシモ、コハ今後生キノビテ、コノ有様ヲツタヘヨト天ノ命ナランカ」と。奇跡的に生きのびたのは、この有様を書いて伝えよという、天からの命令なのかと、原は言っているのです。

 原は、この天からの命令に従って、悲しむ人々に寄り添おうとしました。彼は、悲しみの中にとどまり続け、嘆きを手放さないことを、自分に課し続けたのです(以上の記述は、梯久美子著『原民喜』岩波書店151174頁に負うている)。

 さて、マタイ14章の「五千人に食べ物を与える」奇跡物語は、私たちは僅かなものをもって多くのことができる、ということを語っています。たとえ私たちの愛情が僅かなものであったとしても、神は私たちを通して多くのことを実現されるのです。

 マタイ14:13以下において、キリストは、大勢の群集を見て深く憐れみ、その中の病人を癒されました。そのうち、夕暮れになったので、弟子たちはキリストに言いました。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう」(15節)。キリストは言われました。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」(16節)。

 これに対して、弟子たちは言いました。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」(17節)。弟子たちはこう考えたのです。「パン五つと魚二匹だけでは、群衆全員が食べて満腹することは不可能だ」と。パン五つと魚二匹あれば、キリストと弟子たちの食事には十分でした。それをキリストは、群集のために差し出すように、命じられたのです。

 キリストはパンを取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡して配らせ、魚も皆に分配されました。そして、すべての人が食べて満腹したのです。

 キリストは、主の祈りを教え、次のように祈るように勧めておられます。「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(マタイ6:11)。ここで「糧」と訳されているギリシア語は、14章では「パン」と訳されています。

 当時のユダヤには、食べられる日もあれば、食べられない日もある、不安定な食生活を余儀なくされている人々が、大勢いました。そのような社会の只中で、この祈りは、生きていくために、どうしても必要不可欠な食べ物、まさに「命のパン」を与えてください、と願い求めています。そして、この祈りは、「命のパン」は、神から与えられるものだということを、宣言しているのです。

 さらに、「どうしても必要な命のパンを、『私に』与えてください」と祈るように、キリストは教えておられるのではありません。そうではなくて、「『私たちに』与えてください」と祈るように、教えておられるのです。人間は皆、等しく「神の子ども」として、神の前に共に生きる存在です。ですから私たちは、共に生きる者として、「私たちの命のパンを、今日私たちに与えてください」と祈るのです(山口里子著『いのちの糧の分かち合い』新教出版社6165頁参照)。

 原民喜は、被爆翌日、自分の持っていたオートミールの缶を開けて、一杯ずつ配りました。カバンに入れておいた包帯やメンソレータムも、隣人の怪我の手当てのために、使いました。原は、僅かなものしか持っていませんでしたが、命のパンを分かち合ったのです。たとえ僅かな愛情しか持っていなかったとしても、私たちも隣人と、命のパンを分かち合うとき、神は、私たちを通して、多くのことを実現されるのです。